2021年10月29日(金)19:00-20:30 会場:森のイノベーションラボ FUJINO
都心と郊外のちょうど真ん中あたりに位置する国分寺。自然が残っていた頃の雰囲気を纏ったカフェ・KURUMED COFFEE(クルミドコーヒー)から、コンサルとベンチャーキャピタルを渡り歩いたオーナーが、”急ぐ”都心の喉元に位置する国分寺から、”ゆっくり”を広げていく。 今まさに旅の途中である影山さんをお招きして、「ゆっくり、急ぐ」暮らし方に迫ります。
スピーカー 影山千明
ファシリテーター 高橋靖典(森ラボ コミュニティマネージャー)
高橋:まず、コンサル(マッキンゼー)→ベンチャーキャピタル→カフェという経歴を辿られた経緯を教えてください。
影山: 公務員や学校の先生になりたいと思っていましたが、そこでいい仕事をするためにはビジネスの世界を知っていないといけないと考え、コンサルに入社しました。当時からすると異色の選択でしたね。
マッキンゼーではハードな環境から入社後三年で退職した後、先に退職した先輩から誘われ、当時新興企業への投資が盛り上がっていた環境下で投資ファンドに転職。投資ファンドには13年程在籍しました。当時の投資先であるMusic Security社では現在も取締役を務めています。
高橋: その後、カフェをオープンすることになったのは何故だったのですか?
影山: 投資ファンド在籍中に、西国分寺にある母方の実家が空き家になりました。親族が集まり対応を検討した結果、ビジネスのわかる自分が実家の今後の扱いを任されることになったのです。
元々、西国分寺という街に対しての思いはなかったのですが、空き家の活用企画を進めるうちに、世界で一つしかない自分の生まれ育った街に対する思い入れが強まっていき、折角であれば街にいい影響を及ぼせるような場所を作りたいと思うようになりました。街の交差点、縁側のような場所になればという思いで、一階をカフェ、二階をシェアハウスとすることになったんです。
高橋: そもそも、ご実家は商売をされていたのでしょうか。新しくカフェを始めることへのハードルはなかったのですか?
影山: 実家は商売はしていなく、父親は教員でした。投資ファンドでの新規ビジネス創出の機会が多くあったので、ハードルの高さは感じませんでした。今ではカフェが天職、カフェをやるために生まれてきたと思っていますが、最初は一つの副業くらいの構えで、そこまで思い入れ、意気込みはありませんでした。
高橋: ご実家で事業を始める際に、アパート等、他に経済効率のいい事業はあると思うのですが、なぜ、カフェを始めることになったのでしょうか。
影山: 建て替えるとなった際に掲げていたキーワードは“森”、” 人との繋がり“。です。自分が子供の頃は西国分寺は自然が残っており、森に囲まれているという雰囲気の実家でした。今では開発されていますが、当時の森の遺伝子はまだ残っており、そんな雰囲気を後世にも残したいという思いがありました。また、弟が、実家に住んでいた際に、心臓発作で亡くなり、発見されたのが一週間後だったということが、実家が空き家になった理由でもありました。今後そのようなことが二度と起きないようにしたいという思いがありました。その二つを考えた時に出てきたのがカフェとシェアハウスでした。
高橋: なるほど、それが大きなきっかけだったのですね。また、以前、コミュニティという言葉に違和感があるということを伺いましたが、どのような思いなのでしょうか。
影山: 直訳すると共同体ということですが、そこには同調圧力や、何か役割を担わなくてはいけなかったり、権力を持つ人の顔色を伺わなくてはいけなかったり、コミュニティが主で個人が従というイメージがありました。そうではなく、個人が主となるような場を作りたいと思っています。カフェというのは、共同体ではなく、新しい形での人と人の関係性が生まれる場所だと考えています。
高橋: クルミドコーヒーのコンセプトはどう練り上げて、開店まで辿りついたのでしょうか。
影山: 一緒にカフェ立ち上げを伴走してくれた三軒茶屋のカフェマメヒコのオーナー、井川さんとの企画会議で、好きな食べ物を訊かれて齧るものが多かったのと、自分が齧歯類に似ていることから齧歯類がクルミを集めているようなカフェにしたら?という流れでクルミと、これから“来る“というイメージを掛け合わせてクルミドという名前をつけました。
立地条件等を鑑みて、その空き家でカフェ経営を成り立たせるのは難しいと井川さんからは言われていましたが、ここでうまくできるのはこの地に縁のある影山くんしかいないとも言われました。5年間投資ファンドでの仕事と並行してカフェの開業準備を続けるなかで、毎週何時間も企画会議をして、自分の人生の棚卸しになる程、掘り深めていきました。
高橋: そこが人生の転機にもなられたのですね。カフェとして成功した要因はどこにあったとお考えですか。
影山: 内装やメニュー等、こだわり抜いていいものができたということもありますが、何よりもスタッフやお店の生命力のようなものが一番大事だと思っています。元気を貰えるカフェとそうでないカフェというのはあると思っています。旅をしていて思うのは街も同様だということです。どうすればスタッフがこのカフェでいきいきと働いていけるか。メニューひとつにしても、スタッフが苦労して絞り出したメニューであれば、お客様に提供する際にも何か違うものができます。そのようなお店の生命力のようなものが評価されたのではないでしょうか。
高橋: カフェを始める前と始めた後で、想定していたことと違ったなということはありますか。
影山: カフェは自由な場だと思っていましたが、お店が自由すぎるとお客さんが不自由になるということもあるということです。貸切だったり、メニューに無いものがあると、お客さんが自由に来たり好きなものを頼んだりできません。お客さんに自由に来てもらうために、カフェは基本的なことを守り、同じ時間に必ず開けて、きちんと同じメニューを用意するなど不自由にならなくてはいけないのです。
高橋: お店の拡がりについて聞かせてください。
影山: お店を始めて3年目で事業計画を立てることをやめました。計画して達成してということをやっていると、未来が広がって行きません。決められたノルマがあると、消化試合になり、新しいことが始まるダイナミズムが生まれなくなります。そういうやり方を始めたことで、思いがけないことがどんどん巡り始めました。そんな中で生まれたご縁で二店舗目の大家さんとの出会いがありました。
高橋: ベンチャーキャピタルも初期のフェイズですと、事業計画より創業者の人柄等を見ると聞いたりもしますが、思いを重視した経営という意味ではカフェの経営とベンチャーキャピタルの仕事は似たところもあるのでしょうか。
影山: ベンチャーも思いがあることで強い会社になるという部分もありますが、投資を受ける過程で、どうしても事業計画に縛られてくる側面もあります。
投資であったり、その背景にある資本主義を否定するつもりはありません。そのメカニズムがあることで、世の中が便利になってきたという事実はあります。しかし、それ一色になることで、働くことや人との関わりが手段化したりしてしまいます。物質的に良くなりサービスも向上しても、なぜか幸せでない、豊かさを感じられない、それが20世紀にでてきた急ぐ技術なのです。そればかりではなく、ゆっくり急ぐということができないかというのが自分のコンセプトです。
高橋: 政治や社会など大きなところでも、“ゆっくり急ぐ“にしていきたいという思いはあるのでしょうか。
影山: いまは“急ぐ“が圧倒的に強い世界ですが、国分寺は都市と郊外の間くらいで、急ぐ世界の喉元だと思っています。国分寺から“ゆっくり“を広げていきたいと思っているところです。
高橋: 国分寺ではぶんじという地域通貨にも取り組まれていますが、地域通貨のような、通貨の選択肢を作られたことには、どのような思いがあるのでしょうか。
影山: お金そのものは人類の偉大な発明です。現代の社会へのアンチテーゼを唱える方が、贈与経済,物々交換に飛びがちなところに違和感は感じます。あくまで仕事と仕事の交換、得意不得意の交換というのは、即時に同時にタイミングがあってできるものではありません。時間と空間を超えて交換できるのが通貨の役割でしょう。日本円のみでなく、お互いの仕事を交換できる役割を持った地域通貨のようなものがあることはいいことだと思いますが、都心から離れていけばいくほど、社会的資本があることで日本円に頼らなくてもいきてていけます。国分寺は藤野より日本円に頼らないといけない世界です。お金を稼がないといきていけない世界であるため、自分に嘘をついても仕事を続けなければなりません。そこを半分にできないかというのがテーマにしていることです。お金に頼るのを半分にする、月給20万のうち0にするのは難しいですが、10万にできれば職業選択や自由に生きることができる可能性が増えます。そのためには家賃、食費、水道光熱費などのエネルギーに関してお金に依存する割合を減らすことでそれが達成できると考えています。
高橋:なるほど、目標や計画を立てないビジネスモデルについては、どう考えていらっしゃるのですか。
影山:目標や目的達成のための思いが強くなると仲間に対して見返りを求めるようになり、結果仲間の分断に繋がってしまいますね。
高橋:今、1ヶ月間の旅に出られて、ちょうど折り返し地点の頃かと思いますが、旅で面白かったことはどんなことがありましたか。
影山:旅に出る前に募集した「あなたに会いに行きます」という投稿の反響が大きく、行き当たりばったりの旅の予定が分刻みのスケジュールになりました。自分の本を読んでくださった知らない人同士が繋がって新たなチャレンジが生まれているのが感じられて自分の役割を果たすことができたと思います。
高橋:5度目の干支が始まって旅を始めようと考えたと拝見しました。
影山:人生の一つのハイライトである還暦まで残り12年間で、自分に縁のある国分寺に根を張って経済や人の命が矛盾せずに両立できる社会を作りたいです。旅の中で人と出会い、自分を見つめ直す時間を作った上で国分寺に戻ってくることによってより充実した仕事ができるのではないかと考えました。実際、旅の中で手ごたえを感じたので今までやってきたことを一つ一つ形にすれば、この12年のどこかで世の中が変わるのではないかと思います。
会場やオンラインからの質疑応答
Q:テレワークが進んできて月10万で働ける選択肢が狭い世の中でどんな可能性があるのでしょうか。
影山:テレワークと直接会社で仕事をすることのバランスが重要で、働く選択肢が狭くなりすぎないように経営者が舵取りできなければいけません。
働く人もどこかで起業家精神を持ち、自分ひとりだけでなくとも、仲間と協力したりして月10万稼げる力量が問われるでしょう。
Q:旅の中で、具体的なアイデアや刺激を受けたことを聞かせてください。
影山:6つのやりたいことの一つにある金融の仕組みを変えるということについてクルミド銀行の立ち上げに協力してくれそうな人との出会いがありました。
日本中のチャレンジしている人に出会えたことで目標に進む時孤独じゃない、同じ思いを持つ人が日本中にいることがわかってモチベーションの向上に繋がりました。
高橋:最後に皆さんへのメッセージを一言お願いします。
影山:自分なりに大事なチャレンジに取り組んでいるという思いと同時に自分の活動なんてたかがしれているという思いもどこかにありました。しかし卑屈な思いを抱えたままでは周りが認めてくれることもないので、これからは「俺を見ててくれ」という大言壮語のスタイルでいこうと思います!
高橋:今回は藤野にお越しいただき、ありがとうございました。
イベントアーカイブをYouTubeに公開しました。